夢が知らせてくること ―― わたしたちより先に、夢が知っていること
- ツキヨミノ

- 6月27日
- 読了時間: 5分
更新日:7月28日

「悪夢は、太陽の光で乾かす必要がある」
そんな古い錬金術のことばが、どこか遠くから風に乗ってささやく。夜の深みにあらわれたものを、光のもとへと運ぶための知恵。それは、真実に触れる勇気のことでもある。夢――ときに不穏で、ときに不思議に心を包むその光景は、いったい何を語りかけようとしてくるのだろう?なぜ、あの夢は「何かを知っていたような気がする」のだろう?
夢のなかには、時間を越えて届くものがある。未来をそのまま語るわけではなく、あくまで“兆し”として、身体や魂をゆるやかに準備させてくれるような、小さな風のようなもの。何かが近づいているとき。まだ言葉にならない感覚のかけらが、夢を通して先に訪れる。
神経科学者のシダルタ・ヒベイロは、『夜のオラクル』のなかで、夢は「確率的な予言装置」のように働くのだと言っている。脳は眠りの中で、過去と現在の情報を組み合わせ、まだ現れていない未来を仮想的にシミュレーションする。それは“予言”ではなく、“見えないところで育っているもの”へのまなざし。
夢は、目に見えない層のレントゲンのようなもの。まだ起こっていないことではなく、“すでに始まっている何か”の、静かな輪郭を映し出している。
ユングは、夢を無意識が象徴を使って語る手紙だと考えた。その無意識は、ただ受け身の場所ではなく、自ら動き、働きかけてくる「いのちある場」。夢は未来を予告するものではない。けれど、こころの中で熟しはじめているもの、もうすぐ地表にあらわれてくるものを、象徴というかたちで先に伝えてくれる。
また、哲学者のヴァンシアンヌ・デプレも、夢のような語りを「予測」ではなく「予感の物語」としてとらえるよう誘っている。それは、未来を決めつけるためではなく、やってくるかもしれないことに心を開き、手を差しのべるための語り。夢を語ること、書きとめること。その行為そのものが、すでに変容をはらんでいる。まだ名前のないものに、そっと耳を澄ませる練習。夢とは、そんな繊細な「予感との対話」の場かもしれない。

わたしのソニャリオには、2022年11月に書かれた夢の記録が残っている。その夢は、まさにここでわたしたちが分かち合っているテーマに触れていた。「ポルトアレグレが大きな洪水に襲われる夢。水は膝のあたりまで上がり、靴も足もびしょ濡れだった。その感覚があまりにもリアルで、不快で、目が覚めた。」あの夢をふと思い出したのは、2024年5月、ヒオ・グランデ・ド・スル州の洪水がポルトアレグレを襲ったときだった。夢が現実の出来事と響き合うその瞬間に、深く息をのんだ。あの朝、夢の意味をめぐって、何か個人的な困難の前触れなのではと思い悩んだけれど、それが「わたし」ひとりの出来事ではなく、「わたしたち」全体に関わることだったのだと、答えを知ったのは、それから二年後のことだった。
こうした夢は、決して珍しくない。けれど、意味がはっきりするのは、たいてい“あとから”になる。できごとが起こったとき。言葉が姿をあらわしたとき。痛みがかたちを得たとき。夢が差し出してくるものに、すぐに答えを出せなくてもいい。ときには、その謎としばらく共にいてみることが必要なのかもしれない。ドナ・ハラウェイが語ったように、問題をすぐに解決しようとせず、「その問題と一緒にしばらく生きてみる」という態度。夢に対しても、そんなふうにいられたら。夢は、時計の針の流れとは別の時間に生きている。そこでは「知ること」は、答えや結論ではなく、イメージとしてあらわれる。
いくつかの文化において、夢は個人のものではなく、集団にとっての道しるべとなる。たとえばアメリカ先住民の多くの伝統では、夜明けに夢を分かち合うことが、コミュニティを守り、つないでいくケアの一部として受け継がれてきた。わたしたちが「予知夢」と呼ぶような体験も、別の世界観では、「より深く、より敏感に、時間を聴いている」そんな自然な営みとして捉えられているのかもしれない。

もし、わたしたちが夢をコミュニティで聴きあい、そこにあらわれるイメージや予感をほんとうに大切にできたなら――どれだけの災いや不運を、前もってやわらげることができるだろう。
「悪夢を太陽の下で乾かすこと」それはただの詩的なアドバイスではなく、夢に働きかけるという、ひとつの実践。夢を語り、書きとめることで、その存在に光をあてていく。
けれど、もしまだ誰にも話す勇気が持てなかったら?そんなときには、こんなふうに考えてみてもいいかもしれない。乾かすという錬金術的な行為――それは、わたしたちを悩ませるイメージたちを、すこしずつ昇華していくための道。孤独のなかでもできること。誰もいない場所で、ただ太陽のもとで、声に出して夢を語ること。砂漠の静けさに向かって、ひとりで呟くその声もまた、夢とともにあるということのひとつのかたち。
夢が告げてくるものは、わたしたちを怖がらせるためじゃない。目覚めをうながすために、そっとやってくる。暗く重たい夢でさえ、なにかの終わりを知らせる通過点として、やわらかく迎えることができるかもしれない。
夢の意味を、正確に知る必要はない。ただ、耳をすませればいい。書いてみる。そのイメージを大切にしてみる。夢に、居場所を与える。夢を見ることは、言葉になる前の、もっと深く古い言語とつながること。ときに、わたしたちよりも先に知っている何かと出会うこと。
もしかしたら――わたしたちのなかのどこかでは、すでに知っていたのかもしれない。夢が、まだ来ぬ朝のまえに、内側でひっそりと昇る、小さな太陽だったとしたら?

参考文献
カール・グスタフ・ユング(2011)『心の本質(A Natureza da Psique)』Vozes出版社
シダルタ・ヒベイロ(2019)『夜のオラクル:夢の歴史と科学』コンパニア・ダス・レトラス(サンパウロ)
ヴァンシアンヌ・デプレ(2022)『あるタコの自伝』Bazar do Tempo
ドナ・ハラウェイ(2023)『問題と共にあること:クトゥルーシーンにおける親族づくり』n-1 editions(サンパウロ)
文:ラウラ・プジョル(心理セラピスト/作家)

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