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ソニャリオとマンダラルナーを通じて自分のために書く、己を知る
このブログでは、書くことを自己肯定と抵抗、そして回復の行為として描いている。
日常の雑事や内なる疑念によって書くことが先延ばしにされるなかで、書くことは「わたしはここにいる」と存在を宣言する身ぶりとなる。書き留めることで時間は厚みを取り戻し、記憶が安心して身を休める小さな避難所が生まれる。
古代のヒュポムネーマタやプラトンの逸話が示すように、書くことは記憶を保存するだけでなく、不要な重さを手放すための「必要な忘却」でもある。紙に預けることで、身体や心を軽くし、再び生命の流れへと戻していく。
書くためには、静けさやもてなしが必要だ。空間と時間を整え、書くことを迎え入れることで、物語や問いは自然と現れる。神経科学的にも、手書きは記憶と学びを深め、夢を書き留めることで内的世界との対話が育まれる。
刺激に満ちた現代において、書くことは注意を取り戻し、自分と再会するための瞑想であり、愛の行為である。記憶を育てることは、そのまま、自分自身の物語を育てることなのだ。


長い夜にとどまる冬至のための夢の儀式
冬至は、一年で最も夜が長く、世界が静止する転換点として、古来より特別な意味をもってきた。冬は終わりではなく、内側で夢や可能性が発酵し育まれる時間であり、沈黙のなかでしか聴こえない声に耳を澄ます季節である。光が弱まるこの時期、夢は個人のものを超え、集合的で予言的な力を帯び、大地や時代の声を運んでくる。冬至は太陽が「立ち止まる」瞬間であり、老女の女神が新しい光を胎内に宿すとされるように、闇は欠如ではなく孕みの場となる。眠り、夢を見ること、ゆっくりとした時間に身を委ねることは、過剰な世界に抗う行為であり、魂を耕す実践でもある。危機の時代において、夢に耳を澄まし、感じ続けること、愛と注意深さを選び続けることは、静かでラディカルな抵抗となる。


セルフケアの術
自己を知ることは、何かを集めて蓄える作業ではなく、つねに動きつづけるプロセス。知識とは、日々の選択や行動を導くかたちで生きてこそ意味をもつものであり、情報のストックとは異なる。自分自身を知るということは、学び続けると同時に、不要になった考えや価値観を手放し、更新していくことでもある。そのためには、ときに自分を疑い、違和感を抱き、変化を受け入れる姿勢が求められる。自己理解は理論だけで成り立つものではなく、身体感覚や感情、境界線を知り、何が自分にとって健やかかを判断できる力でもある。また、他者の視点や関係性を通して、自分をより正確に映し出すことも助けになる。オートケアとしての日記や記録は、この絶え間ない学びと手放しを支える実践のひとつ。自分を育てることと、自分を知ることは、つねに結びついている。


月経周期のフェーズ - 排卵期
わたしたちの身体は自然の一部であり、月経周期のなかで春夏秋冬をめぐっている。生理痛や不調の多くは、この自然なリズムとずれたときに起こる。排卵期は生命力が最高潮に達する「夏」で、エストロゲンが心身を外へひらき、学びや交流、運動や挑戦に適した時期。やがて黄体期という「秋」が訪れ、プロゲステロンが優勢になり、休息・内省・境界線を引く力が高まる。本来この時期は静けさが必要だが、休みを許さない社会がPMSを生み出している。そして月経期は「冬」。血とともに内側へ還り、再生に向けて休む時間。温かさ、消化にやさしい食事、運動の休止が次の巡りを支える。こうして冬を生ききると、また春が訪れる。自分の周期を知り、自然と重ねて生きることは、調和と自由を取り戻す月経教育そのもの。


古代文明と夢という社会のツール
夢は、古代から人々の生を導いてきた。意味を探す道しるべであり、癒しの場であり、神々や精霊とつながるための扉だった。エジプトでは、夢は神聖な存在からのメッセージとして受け取られ、セラピスの神殿では人々が夢を通して癒しや啓示を求めた。夢はもうひとつの現実として尊ばれ、魂が世界と対話する時間だった。
アマゾンのヤノマミにとっても、夢は個人の無意識ではない。他者、つまり森の霊、動物、人々の欲望が現れる場所であり、共同体が進む道を確かめるための知恵だった。夢は分かち合われ、村の調和を守る力となった。
現代の神経科学者シダルタ・ヒベイロは、夢は人類が生きのびるために発達させた根源的な道具だと語る。夢のなかで私たちは未来を試し、問題を解き、つながりを深める。夢は脳の働きであると同時に、文化をつくり、世界を理解するための創造的な知性でもある。
こうした古代からの知恵に触れると、夢は個人だけのものではなく、社会の形や未来をも育てる営みだとわかる。自分の夢に、そして他者の夢に耳を澄ませるとき、わたしたちはよりつながり合う新しい意識を育てていけるのかもしれない。


失った人の夢―旅立った人との出会い
夢は、亡くなった人がわたしたちに触れてくる特別な場所。そこに現れる存在は、ただの記憶ではなく、いまも生き続ける愛のしるし。ユングが語ったように、死者は「帰還」し、まだともに生きることを願っているのかもしれない。夢は別れや和解の場になり、言葉にできない思いを受けとめてくれる。喪を夢見るとは、時間を閉ざさず、つながりが終わらないことを認めること。死者は姿を変えて近くにとどまり、声や夢、沈黙のかたちでわたしたちに語りかける。ときに夢は痛みを延ばすけれど、それも愛がまだ息づいている証。だから夢を解こうとせず、書きとめ、耳を澄ませ、訪れてくれたことに感謝しよう。夢は祈りのように、終わりを超えて始まりを紡ぎなおす。


クロノバイオロジ―
トーマス・エジソンが1879年に発明した電気は、人類が何千年もかけて培ってきた自然のリズムから人を遠ざけた。心理学者マイケル・ブリウスは「たった125年で、5万年かけて築き上げられた生物学的調和は崩れた」と語る。人工の光によって夜間の活動ができるようになったが、睡眠や休息のリズムを乱し、常に働き続ける文化を生み出した。さらに交通手段の発展も生体時計に混乱をもたらし、急激な移動は体のリズムを大きく揺さぶる。科学は人間が昼行性であることを示しており、代謝やホルモン分泌は昼夜の交代と同期している。だが現代社会の不規則な生活は、睡眠障害や慢性的疲労、がんなど深刻な健康リスクを伴う。柔軟性はあるものの、夜勤のような生活に完全には適応できない。時間は人の存在そのものを貫くリズムであり、自然との調和を取り戻すことが求められている。


マンダラルナーと妊娠力への気づき
マンダラルナーは、自分のからだと心のリズムを感じ、記録するためのツール。月経サイクルは人それぞれ異なり、決まった「正解」はない。アプリの予測ではなく、体感や粘液、体温、気分などの変化を観察することで、本当のリズムが見えてくる。これは単なる知識ではなく、自分の内側から育つ智慧。マンダラルナーは妊娠力の理解にも役立つが、避妊には明確な知識が必要。自分自身とつながる旅を、感覚と思いやりをもって歩んでいくための道しるべとなる。


内の月と外の月
月のサイクルと月経周期はともに約28.5日。ミランダ・グレイは、月経が新月に重なる「白い月のサイクル」と、満月に重なる「赤い月のサイクル」を、人生のフェーズを映すものとして紹介している。白い月は外向きの創造性と母性を、赤い月は内省・癒し・変容の力を象徴する。どのフェーズも優劣はなく、人生とともに移ろいながら、わたしたちは月と響きあう。月経のタイミングを観察することで、自分の内なる変化や知恵と深くつながっていける。


月のサイクルとからだのリズム―マンダラルナーとともに耳をすませてみよう
月の満ち欠けと月経のサイクル。どちらもほぼ同じ周期でめぐるこのふたつのリズムは、むかしから多くの文化のなかで語られてきた。わたしたちの内なる変化と、空のうつろいがふと重なるとき、自然との深いつながりを思い出すのかもしれない。
マンダラルナーは、そんな月とからだのリズムをやさしく見つめるための地図のような存在。色や感覚で日々を記録することで、自分だけの波が少しずつ見えてくる。決まりはなく、できるときに、できるだけ。
感じたままに描くその旅路は、自分への信頼とやさしさを育ててくれる。


夢 ―― 目覚めの反対。でも、それだけじゃない。
夢は、ただの“現実の断片”じゃない。先住民族たちは、夢を森や死者、精霊たちとつながる場として捉えてきた。
たとえばロシア極東のエヴェンの人々にとって、昼の出来事をなぞるだけの夢は「夢」とは呼ばれない。
彼らが大切にするのは、“出会いの夢”――そこでは、目覚めの世界では出会えない存在たちと語り、学びあう。
「子どもたちは夢の中で学校に行く」と語った人類学者もいる。
夢には、まだ見ぬ世界の知恵が息づいている。
異なる世界観は、無理にひとつにまとめなくてもいい。
夢と現実、昼と夜、個と集合。
その狭間に耳をすませながら、
わたしたちは新しいつながりの地図を描いていける。


子どもたちが夢と深くつながるためにできること
子どもたちは、まだ「世界そのもの」に近くいる。夢の中では、クジラや人魚、巨大な蛇や波に出会い、ことばにできない感情を感じている。夢は、魂の奥深くから立ち上がってくるイメージ。大人のわたしたちができるのは、その夢に意味を与えることではなく、ただ耳を澄ませ、そばにいること。夢が絵になり、遊びになり、からだの動きとして表現されるとき、そこには癒しの種が宿る。夢は子どもにとって、内なる声とつながる入り口であり、未来へ向かう想像力の翼でもある。だからこそ、夢を語り、聴き合う時間を大切にしたい。家庭や学校のなかで、夢の親密さがふたたび灯されるように。夢を忘れないこと――それは、いのちの記憶とともに生きていく力を育てること。


夢が知らせてくること ―― わたしたちより先に、夢が知っていること
「悪夢は、太陽の光で乾かす必要がある」
そんな古い言葉が、夢の向こうからそっとささやく。夢は未来を予言するものではないけれど、まだ言葉にならない“兆し”や“予感”を、静かに運んでくる。夢が伝えようとするのは、わたしたちが忘れかけた、内なる感覚の声。それにただ耳をすませ、語り、書きとめ、そっと光にさらす。夢は、過去と未来のあわいで、すでに始まっている何かの輪郭を映している。怖い夢でさえ、目覚めへと誘うやさしい手。すぐに答えを出さなくてもいい。ただ、夢に居場所を与えてみよう。その行為そのものが、変容のはじまりとなる。
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