top of page




マンダラルナーに書き続けるためのヒント
マンダラルナーは、忙しい毎日の中で立ち止まり、自分と向き合う時間を育むためのツール。書く習慣を続けることで、感情や心の動きに気づき、自分への理解が深まっていく。続けるコツは、書く時間や心地よい場所を決め、デジタルから少し離れ、無理のないペースで楽しむこと。思いついたことはすぐにメモし、文章だけでなく絵や写真など、自分らしい方法で自由に表現してみよう。もし書けない日があっても、自分を責める必要はないよ。大切なのは完璧に続けることじゃなく、自分にやさしく寄り添いながら、何度でも書く時間へ戻ってくること。


罪悪感って何?どこから生まれる?どんな影響がある?どう向き合っていけばいい?
罪悪感は、自分の価値観やこうあるべきという理想とのギャップから生まれる感情。ときには成長や修復のきっかけになるけれど、過度な罪悪感は自分を責め、心や身体に大きな負担を与えてしまう。大切なのは、自分を裁くのではなく、感情に気づき、やさしく向き合うこと。失敗を受け入れ、必要な責任を果たしながら、比較を手放し、自分を思いやる姿勢を育んでいこう。マンダラルナーは、日々の出来事や感情を書き留め、自分の思考や感情のパターンに気づくための心強いパートナー。書き続けることで、自分への理解が深まり、よりしなやかに人生と向き合う力を育むことができる。


夜の呼びかけ
夢は、魂が自らの道を映し出すもの。夢を書きとめることは、その意味を急いで解釈するためではなく、夢と関係を育み、自分の内なる世界に耳を澄ませるための行為だ。夢はときに傷や未完了の感情を見せ、ときに自由や可能性を思い出させてくれる。ソニャリオに記録を重ねることで、繰り返し現れるテーマや象徴、自分自身の変化のリズムが少しずつ見えてくる。夢は言葉だけでなく、絵や身体表現を通しても受け取ることができる。夢を書きとめることは、夜に受け取ったメッセージを昼の人生へとつなぎ、自分自身との対話を深めていくこと。そうして夢とともに歩むなかで、わたしたちは少しずつ自分自身の伴走者となっていく。


多様性の中のひとつのいのち:人とクジラで共通することはなんだろう?
人間もクジラも、すべての生命は異なる姿や物語を生きながら、深いところでひとつの命の流れによって結ばれている。胎盤の中の「水の世界」から、呼吸を通して「空気の世界」へ移行する誕生は、哺乳類に共通する神聖な通過儀礼。セミクジラたちは毎年、子どもを産むために南極からブラジル沿岸へ3000km以上を旅し、妊娠期間までも移動のリズムに同期させている。出産や授乳には膨大なエネルギーが必要であり、命を育むことには大きな犠牲と適応が伴う。多様な生命はそれぞれ固有の存在でありながら、同じ進化と生命の循環の一部として共鳴し合っている。


世界環境デー
6月5日の「世界環境デー」は、1972年に国連によって制定された。50年以上を経て、環境問題への理解は大きく変化し、自然はもはや無限の資源ではなく、複雑につながり合う生命の循環として捉えられるようになっている。ブラジルで開かれたEco-92やRio+20は、京都議定書など国際的な環境政策の基盤を築き、多くの人々が気候問題を意識するきっかけとなった。現在の議論は、生物多様性、食料主権、植民地主義的資源採取、気候危機まで広がっている。2025年を生きるわたしたちは、環境問題が地球規模の緊急課題であることを理解し、未来の世代のために国境を越えて協力していく必要がある。


書くことによる自己探求 - 身体、手紙、感情のマッピング
書くことは、自分の内側を見つめるための行為。身体は、心よりも先に感情や違和感を感じ取り、緊張や痛み、衝動としてメッセージを送っている。日々の感情や反応を書き留めることで、わたしたちは少しずつ自分のパターンや本音に気づき始める。大切なのは、自分を責めることではなく、好奇心とやさしさをもって観察すること。書くことは、感覚を言葉に変え、自分自身を理解し直すための小さな実践であり、より意識的な選択や新しい在り方へとつながっていく。


生理痛って、当たり前?
多くの女性が「生理痛は当たり前」と教えられ、強い痛みも我慢しがちだ。しかし、日常生活に支障が出るほどの痛みは決して「普通」ではない。
生理痛の主な原因は、子宮を収縮させるプロスタグランジンの過剰分泌にある。湯たんぽで温める、マグネシウムを摂取するなどのセルフケアで和らぐ「原発性」に対し、注意が必要なのは病気が隠れている「続発性」だ。特に子宮内膜症は、診断まで平均7年もかかると言われる。動けないほどの痛み、性交痛、排便痛などは、体が発する警告かもしれない。根治は難しくとも、適切な治療や生活改善で症状を和らげることは可能だ。
また、痛みには心身の繋がりも影響している。骨盤周りは感情を溜め込みやすく、過去のトラウマや緊張が痛みとして現れることもある。体に優しく触れ、内なる声を聴く時間が癒しに繋がるだろう。
生理は本来、苦しむためのものではない。社会が作った「生理は隠すべき、汚いもの」という物語を手放し、自分の体のリズムを慈しんでみてほしい。痛みが強いときは、どうか一人で抱えず専門家に相談を。5月28日の「月経可視化の日」を機に、誰もが生理で苦しま


マンダラルナーとソニャリオで、目覚めと夜の訪れをリチュアルにしよう
一日のはじまりと終わりにある「あわい」は、世界と深くつながるための時間。アマゾンの人々の感覚では、夢やしるしは「横から」届き、人間だけでなく動物や精霊とも関係しながら意味を持つ。夜は思考がひらき、夢や記憶が訪れる場であり、やさしく一日を閉じることでその働きを迎え入れることができる。朝はゆっくりと感覚を調律し、夢の余韻をすくいながら意図を置く。書くことは呼吸のような実践であり、完璧さは必要ない。マンダラルナーとソニャリオは、内なる世界と外の世界とを結び、わたしたちが他の存在とともに生きていることを思い出させてくれる。


PMSのセルフケア
雨の日曜日に体がふっと楽になるのは、あなたが「休むこと」の大切さをちゃんと知っているから。PMSは決してあなたの不均衡ではなく、休息や弱さを許さない社会の歪みが映し出されたものに過ぎない。薬でサイクルを止めて感情に蓋をするのではなく、月経前の時期が教えてくれる「ペースを落とすサイン」を大切にしてほしい。イライラや涙は、これまで飲み込んできた想いや、誰かの痛みに寄り添うための優しい勇気が溢れ出したもの。だから、予定をキャンセルしたり、はっきりと「ノー」を言ったりして、自分を守る境界線を引いてもいい。3ヶ月間、誰のためでもない自分だけの「雨の日曜日」を過ごすように、心のままに休み、感じ、自分を慈しんでみて。そうして自分の内なるサイクルと仲直りできたとき、PMSはもうあなたを苦しめるものではなく、自分を取り戻すための愛おしい時間へと変わっていくはず。


自分ひとりの部屋:書く女性たちへ(これから書こうとするあなたへ)
Virginia Woolfが語った「自分ひとりの部屋」は、単なる空間ではなく、女性が思考し創造するために必要な、侵されない内なる領域を意味する。絶え間ない中断や他者の期待の中で、女性の創造は削がれてきた。だからこそ、自分の時間と静けさを守ることは、知的に生きのびるための根源的な行為となる。マンダラルナーは、その守りと時間を取り戻すための象徴的な「持ち運べる部屋」として、散ったエネルギーを集め、内なる声に還る場をひらく。それは、自分自身へと戻り、創造が自然に芽吹くための静かな儀式である。


記録を振り返ることで生まれる気づきとその響き
人生の意味は、その最中ではなく、振り返ったときに少しずつ見えてくる。過去の記録を読み返すことは、記憶をたどるだけでなく、かつての自分と再び出会うこと。混乱や失敗だと思っていた出来事も、新しい視点から見ると学びや必要なプロセスだったと気づく。読み返すことで、見えなかったつながりや成長が浮かび上がり、自分の歩みをやさしく認めることができる。それは、自分を裁くのではなく、理解し、受け入れ、祝福する行為。そして最終的に、自分の内へと帰り、本来の自分と再びつながるための時間でもある。


目には見えない感情の領域
感情は、解き明かすべきものではなく、身体に刻まれたいのちのしるし。生まれること自体が断絶を伴い、身体はその記憶を携えて世界を生きはじめる。バントゥの思想では、人・共同体・世界は切り離されず、感情は時間と自然の中で生きられながら意味を持っていく。感じることは弱さではなく、いのちとつながる力であり、静かな抵抗でもある。しかし現代社会では、その余白が奪われがち。だからこそ、理解しようと急がず、とどまり、感じ、ゆっくりと自分の領域を取り戻していくことが大切になる。


夢を見ることができない ― 現代の症状
休むことや夢を見ることが難しくなっている現代。女性たちはとくに、休息を「権利」として持てず、疲れたまま生きている。24時間動き続ける社会の中で、睡眠は削られ、夢さえ遠ざかっている。けれど夢は、ただの幻想ではなく、自分の内側の声を伝える大切な領域。休むことも夢を見ることも、今や静かな抵抗でもある。夢は曖昧であるからこそ力を持ち、わたしたちを自分自身へとつなぎ直してくれる。


孤から円(サークル)へ—女の友情に潜むパワー
女性同士の友情は、メンタルヘルスや生きる力を支える大切な関係として、近年あらためて注目されている。歴史の中では、女性たちがつながり合う力はしばしば抑え込まれてきたが、友情は今も静かに女性たちを支え続けている。友人の前では、役割や期待から離れてありのままでいられ、弱さや本音も分かち合える。そうした関係は、競争や比較をほどき、女性が自分の声や物語を取り戻す場所にもなる。互いに語り、聴き合い、支え合うことで、新しい意味や記憶が生まれ、人生の物語は編み直されていく。女性同士の友情は、社会の中で傷ついてきた女性性を癒し、世代を越えて命とコミュニティを支える力を持っている。


ソニャリオとマンダラルナーを通じて自分のために書く、己を知る
このブログでは、書くことを自己肯定と抵抗、そして回復の行為として描いている。
日常の雑事や内なる疑念によって書くことが先延ばしにされるなかで、書くことは「わたしはここにいる」と存在を宣言する身ぶりとなる。書き留めることで時間は厚みを取り戻し、記憶が安心して身を休める小さな避難所が生まれる。
古代のヒュポムネーマタやプラトンの逸話が示すように、書くことは記憶を保存するだけでなく、不要な重さを手放すための「必要な忘却」でもある。紙に預けることで、身体や心を軽くし、再び生命の流れへと戻していく。
書くためには、静けさやもてなしが必要だ。空間と時間を整え、書くことを迎え入れることで、物語や問いは自然と現れる。神経科学的にも、手書きは記憶と学びを深め、夢を書き留めることで内的世界との対話が育まれる。
刺激に満ちた現代において、書くことは注意を取り戻し、自分と再会するための瞑想であり、愛の行為である。記憶を育てることは、そのまま、自分自身の物語を育てることなのだ。


長い夜にとどまる冬至のための夢の儀式
冬至は、一年で最も夜が長く、世界が静止する転換点として、古来より特別な意味をもってきた。冬は終わりではなく、内側で夢や可能性が発酵し育まれる時間であり、沈黙のなかでしか聴こえない声に耳を澄ます季節である。光が弱まるこの時期、夢は個人のものを超え、集合的で予言的な力を帯び、大地や時代の声を運んでくる。冬至は太陽が「立ち止まる」瞬間であり、老女の女神が新しい光を胎内に宿すとされるように、闇は欠如ではなく孕みの場となる。眠り、夢を見ること、ゆっくりとした時間に身を委ねることは、過剰な世界に抗う行為であり、魂を耕す実践でもある。危機の時代において、夢に耳を澄まし、感じ続けること、愛と注意深さを選び続けることは、静かでラディカルな抵抗となる。


セルフケアの術
自己を知ることは、何かを集めて蓄える作業ではなく、つねに動きつづけるプロセス。知識とは、日々の選択や行動を導くかたちで生きてこそ意味をもつものであり、情報のストックとは異なる。自分自身を知るということは、学び続けると同時に、不要になった考えや価値観を手放し、更新していくことでもある。そのためには、ときに自分を疑い、違和感を抱き、変化を受け入れる姿勢が求められる。自己理解は理論だけで成り立つものではなく、身体感覚や感情、境界線を知り、何が自分にとって健やかかを判断できる力でもある。また、他者の視点や関係性を通して、自分をより正確に映し出すことも助けになる。オートケアとしての日記や記録は、この絶え間ない学びと手放しを支える実践のひとつ。自分を育てることと、自分を知ることは、つねに結びついている。


月経/排卵周期のフェーズ
わたしたちの身体は自然の一部であり、月経周期のなかで春夏秋冬をめぐっている。生理痛や不調の多くは、この自然なリズムとずれたときに起こる。排卵期は生命力が最高潮に達する「夏」で、エストロゲンが心身を外へひらき、学びや交流、運動や挑戦に適した時期。やがて黄体期という「秋」が訪れ、プロゲステロンが優勢になり、休息・内省・境界線を引く力が高まる。本来この時期は静けさが必要だが、休みを許さない社会がPMSを生み出している。そして月経期は「冬」。血とともに内側へ還り、再生に向けて休む時間。温かさ、消化にやさしい食事、運動の休止が次の巡りを支える。こうして冬を生ききると、また春が訪れる。自分の周期を知り、自然と重ねて生きることは、調和と自由を取り戻す月経教育そのもの。


古代文明と夢という社会のツール
夢は、古代から人々の生を導いてきた。意味を探す道しるべであり、癒しの場であり、神々や精霊とつながるための扉だった。エジプトでは、夢は神聖な存在からのメッセージとして受け取られ、セラピスの神殿では人々が夢を通して癒しや啓示を求めた。夢はもうひとつの現実として尊ばれ、魂が世界と対話する時間だった。
アマゾンのヤノマミにとっても、夢は個人の無意識ではない。他者、つまり森の霊、動物、人々の欲望が現れる場所であり、共同体が進む道を確かめるための知恵だった。夢は分かち合われ、村の調和を守る力となった。
現代の神経科学者シダルタ・ヒベイロは、夢は人類が生きのびるために発達させた根源的な道具だと語る。夢のなかで私たちは未来を試し、問題を解き、つながりを深める。夢は脳の働きであると同時に、文化をつくり、世界を理解するための創造的な知性でもある。
こうした古代からの知恵に触れると、夢は個人だけのものではなく、社会の形や未来をも育てる営みだとわかる。自分の夢に、そして他者の夢に耳を澄ませるとき、わたしたちはよりつながり合う新しい意識を育てていけるのかもしれない。


失った人の夢―旅立った人との出会い
夢は、亡くなった人がわたしたちに触れてくる特別な場所。そこに現れる存在は、ただの記憶ではなく、いまも生き続ける愛のしるし。ユングが語ったように、死者は「帰還」し、まだともに生きることを願っているのかもしれない。夢は別れや和解の場になり、言葉にできない思いを受けとめてくれる。喪を夢見るとは、時間を閉ざさず、つながりが終わらないことを認めること。死者は姿を変えて近くにとどまり、声や夢、沈黙のかたちでわたしたちに語りかける。ときに夢は痛みを延ばすけれど、それも愛がまだ息づいている証。だから夢を解こうとせず、書きとめ、耳を澄ませ、訪れてくれたことに感謝しよう。夢は祈りのように、終わりを超えて始まりを紡ぎなおす。
bottom of page