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マンダラルナーと妊娠力への気づき
マンダラルナーは、自分のからだと心のリズムを感じ、記録するためのツール。月経サイクルは人それぞれ異なり、決まった「正解」はない。アプリの予測ではなく、体感や粘液、体温、気分などの変化を観察することで、本当のリズムが見えてくる。これは単なる知識ではなく、自分の内側から育つ智慧。マンダラルナーは妊娠力の理解にも役立つが、避妊には明確な知識が必要。自分自身とつながる旅を、感覚と思いやりをもって歩んでいくための道しるべとなる。


内の月と外の月
月のサイクルと月経周期はともに約28.5日。ミランダ・グレイは、月経が新月に重なる「白い月のサイクル」と、満月に重なる「赤い月のサイクル」を、人生のフェーズを映すものとして紹介している。白い月は外向きの創造性と母性を、赤い月は内省・癒し・変容の力を象徴する。どのフェーズも優劣はなく、人生とともに移ろいながら、わたしたちは月と響きあう。月経のタイミングを観察することで、自分の内なる変化や知恵と深くつながっていける。


月のサイクルとからだのリズム―マンダラルナーとともに耳をすませてみよう
月の満ち欠けと月経のサイクル。どちらもほぼ同じ周期でめぐるこのふたつのリズムは、むかしから多くの文化のなかで語られてきた。わたしたちの内なる変化と、空のうつろいがふと重なるとき、自然との深いつながりを思い出すのかもしれない。
マンダラルナーは、そんな月とからだのリズムをやさしく見つめるための地図のような存在。色や感覚で日々を記録することで、自分だけの波が少しずつ見えてくる。決まりはなく、できるときに、できるだけ。
感じたままに描くその旅路は、自分への信頼とやさしさを育ててくれる。


夢 ―― 目覚めの反対。でも、それだけじゃない。
夢は、ただの“現実の断片”じゃない。先住民族たちは、夢を森や死者、精霊たちとつながる場として捉えてきた。
たとえばロシア極東のエヴェンの人々にとって、昼の出来事をなぞるだけの夢は「夢」とは呼ばれない。
彼らが大切にするのは、“出会いの夢”――そこでは、目覚めの世界では出会えない存在たちと語り、学びあう。
「子どもたちは夢の中で学校に行く」と語った人類学者もいる。
夢には、まだ見ぬ世界の知恵が息づいている。
異なる世界観は、無理にひとつにまとめなくてもいい。
夢と現実、昼と夜、個と集合。
その狭間に耳をすませながら、
わたしたちは新しいつながりの地図を描いていける。


子どもたちが夢と深くつながるためにできること
子どもたちは、まだ「世界そのもの」に近くいる。夢の中では、クジラや人魚、巨大な蛇や波に出会い、ことばにできない感情を感じている。夢は、魂の奥深くから立ち上がってくるイメージ。大人のわたしたちができるのは、その夢に意味を与えることではなく、ただ耳を澄ませ、そばにいること。夢が絵になり、遊びになり、からだの動きとして表現されるとき、そこには癒しの種が宿る。夢は子どもにとって、内なる声とつながる入り口であり、未来へ向かう想像力の翼でもある。だからこそ、夢を語り、聴き合う時間を大切にしたい。家庭や学校のなかで、夢の親密さがふたたび灯されるように。夢を忘れないこと――それは、いのちの記憶とともに生きていく力を育てること。


夢が知らせてくること ―― わたしたちより先に、夢が知っていること
「悪夢は、太陽の光で乾かす必要がある」
そんな古い言葉が、夢の向こうからそっとささやく。夢は未来を予言するものではないけれど、まだ言葉にならない“兆し”や“予感”を、静かに運んでくる。夢が伝えようとするのは、わたしたちが忘れかけた、内なる感覚の声。それにただ耳をすませ、語り、書きとめ、そっと光にさらす。夢は、過去と未来のあわいで、すでに始まっている何かの輪郭を映している。怖い夢でさえ、目覚めへと誘うやさしい手。すぐに答えを出さなくてもいい。ただ、夢に居場所を与えてみよう。その行為そのものが、変容のはじまりとなる。
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