子どもたちが夢と深くつながるためにできること
- ツキヨミノ

- 6月27日
- 読了時間: 10分
更新日:7月28日

わたしたちが子どもだったころ、どんな夢を見ていただろう。そして、いま隣にいる子どもたちは、夜ごとどんな世界を旅しているのだろう。
夢は、内なる宇宙への入り口。魂の奥にひそむイメージたちが、夜の静けさのなかに立ち上がる。けれど、わたしたちはその大切さを、子どもたちに伝えることができているだろうか。幼いころから、自分の夢に耳を澄ますことは、直感や創造性とのつながりを育むことにつながっていく。夢について尋ねられなければ、夢の記憶は語られることなく、やがて忘れられていく。
子どもたちもまた、大人と同じように夢を見る。ときには、まだ言葉にならないような複雑な感情をたたえたイメージが現れることもある。5歳くらいまでは、夢の中の世界はシンプルで、登場するものごとも限られていることが多い。けれど、身体の成長とともに、夢もまた広がっていく。6歳を過ぎるころには、物語のような展開がはじまり、キャラクターが動き出し、会話を交わし、さまざまな感情を体験しながら、自分の記憶とつながっていく。そうして、子どもたちは夢のなかの主人公になり、色とりどりの、ふしぎで、苦しくて、わくわくして、笑ってしまうような夢の世界を生きるようになる。
子どもたちは、集合的無意識にとても近い場所にいて、まだ「わたし」という輪郭もあいまいなままに生きている。だからこそ、夢のなかにはよく、神話やアーキタイプに満ちたイメージが現れる。大きな波、ドラゴン、蛇、クジラ、人魚…大人にはもう遠くなってしまった存在たちが、子どもたちの夢には、よく顔を出す。それは、彼らがまだ“世界そのもの”に近くいるからかもしれない。
おとぎ話もまた、そうした象徴に満ちている。子どもたちが物語に惹かれるのは、それが彼らの内なる世界に響き合っているから。物語は、言葉にならない体験のかけらを、やさしく包み込んでくれる。
精神科医でユング派の分析家、マイケル・フォーダムによれば、幼い子どもにとっては、現実と空想のあいだに明確な境界がない。だからこそ、ときに夢はとてもリアルで、怖くて、目覚めたときに涙を流すこともある。夢のイメージは、日常の空想と入り混じり、現実のように感じられることも多い。
そうした時期の子どもたちと夢を探るとき、大人がよくするような「言葉による分析」はあまり向いていない。それよりも、絵を描いたり、ごっこ遊びをしたり、身体を動かしながら、その子自身が夢を“生き直す”ようなかたちがふさわしい。夢に出てきた動物になってみたり、色や形で感じたものを表現してみたり――そうした遊びのなかで、自然と夢と心のつながりが生まれていく。
そのときに必要なのは、子ども自身が「どこまでその夢と関わりたいか」を、自分のペースで選べる自由。感情が動かされる深さや、自分の内側と向き合う準備ができているかどうかを、子どもたちは言葉ではなく、しぐさや態度でそっと伝えてくれる。
だから、大人がそばにいるときに大切なのは、“教えること”よりも、“寄り添うこと”。夢を語ってくれたその瞬間に、耳を傾け、共に感じ、その子の感じたことを尊重しながら、一緒にいること。
夢の世界に触れるとき、子どもたちはわたしたち大人にも、何かを思い出させてくれる。彼らが描くイメージは、わたしたちの中にも眠っているなにかを目覚めさせる。
とくに幼い子どもたちにとっては、夢と現実の境界はとてもあいまい。けれど、9歳から13歳くらいの思春期へと向かうなかで、その境界線がはっきりしはじめる。夢のなかには、旅立ち、別れ、仲間とのつながり、権威との対峙、からだや性との出会いなど、人生の通過儀礼のようなテーマが現れるようになってくる。それはとても自然なことで、人生のなかでとても大切な成長のサインでもある。
夢は、目に見えない先生のような存在。子どもたちが自分の内なる声とつながり、世界を感じ、自分自身と出会っていくための、やさしい導き手。
夢を忘れずにいること。それは、魂の記憶と手をつなぎながら、生きる力を育てることでもある。

怖いものが夢にあらわれるとき――怪物や不思議ないきものと出会う夢
ユング心理学の創始者であるカール・ユングは、子どもたちの夢に現れる怪物のイメージは、「本能の顔」だと言った。それは、夢を通して子どもが無意識の深い層に降りていき、自分のからだ――もっと正確に言えば、“からだの意識”とつながろうとする旅。本能の力と、自分自身のなかで出会い、調和を探していくプロセス。でも、それをわざわざ言葉で説明したり、意味づけたりする必要はない。子どもにとって大切なのは、“意味を与えられること”じゃなくて、“安心して表現できる場所があること”。ただ静かに耳を傾けること。それだけで、夢が残した重たい感情は、ふっとやわらいでいくことがある。
昨年のこと。娘が6歳のとき、大きな夢を見た。青く光る、巨大なヘビ。それが、洪水に飲まれる街を泳いでいた。夢の中の舞台は、ポルトアレグレ。わたしたちの家には水は来なかったけれど、仕事場、祖母たちの家、先生や友だちの家、日々の風景や、大切な場所のいくつもが浸水した。夢を見たそのとき、わたしたちはすぐに「そのヘビは何を象徴しているのか」と考えるのをやめた。まずは、ヘビに語ってもらうことにした。青いヘビは、絵の中で何度も現れた。名前がつき、遊びのなかで主人公になった。布をからだに巻きつけて、ヘビのまねをして踊った。その布は、娘が4歳の誕生日にテーブルにかけていた、キラキラ光る青い布――タンスの奥で眠っていたものを、彼女自身が見つけ出してきた。それから、ヘビは何度も姿を変えて夢にあらわれた。舟になり、宝石の守り手になり、空を飛ぶ船になり、歌う者になった。ときには友だちのように話しかけ、ときには沈黙のなかにとどまった。朝の食卓の話題になることもあった。こうした何気ないやりとりのひとつひとつが、心に残った体験をゆっくりとかみくだき、からだのなかに沈めていく大切なプロセスになっていた。
洪水という大きなできごと。家族と、町と、世界と、自分のつながりがゆらぐ体験。娘の夢にあらわれた青いヘビは、その深い痛みと混乱を、言葉にならないかたちで抱えてくれていた。だからこそ、解釈するよりも、まずはその存在に場所をひらくこと。夢が語りかけてくる声に、そっと耳を澄ませること。それが、子どもと夢との大切な関係を育む、小さな扉になる。
無意識に耳をすませること ―― 変容の入り口としての夢
幼いころに経験する、心を揺らすようなできごと。それは、知らず知らずのうちに、人生を通してくり返す行動のパターンを形づくっていく。ユングは語っていた。子どもの夢は、そうした無意識の動きのはじまりに触れる扉。夢を通して、それがどこから来たのかを知り、まだ柔らかい心のうちに、変容の可能性を手にできる、と。夢に価値があると知った子どもは、その後もずっと、夢に耳をすませつづけるようになる。心の中の声を聴くという行為が、からだに染みこんだ習慣として根づいていく。そして、夢を語ってもいいと感じる場があることで、心の深いところと誰かとのあいだに、小さな信頼の橋がかかっていく。夢の世界に自分の居場所があると感じたとき、無意識との関係はすこしずつ、なめらかに流れはじめる。
ユングはまた、大人になっても心に残り続ける子どものころの夢は、たいてい何かの節目や、大切な時期のエッセンスを含んでいると言った。なぜあの夢だけが、記憶にこびりついているのか――すぐにはわからなくても、人生を重ねながら、その夢のイメージを深く見つめていくと、そこに、心を支えるために必要だった「なにか」のかけらが見えてくる。
ときに大人もまた、子どもが見るような夢をみる。無意識が、もう一度やわらかく開かれるとき。
現代の児童文学と夢
子どもたちの育ちに寄りそう、大切な芸術のひとつ――それが、物語。お話を聞くこと、語ることは、心の動きとつながる魔法のような営み。物語を通して、いま目の前にある世界だけじゃない「ほかの世界」があることを想像する。それは、「これだけが現実じゃない」と知る、文化的なレジリエンスのかたち。夢を見ること、物語を紡ぐことは、想像力という名の舟に乗って、新しいわたしと出会い、世界と再び結び直す旅。
神経科学者シダルタ・ヒベイロは、こう語っている。夢とは、制限も制御もない想像力そのもの。恐れ、創造、喪失、そして発見に開かれた場。夢に耳を傾け、価値を与えることは、わたしたちの中に眠る祖先の記憶をよびさますこと。その役割を、子どもたちは大きく担っている。子どもたちの夢は、まだ「こうあるべき」にしばられていない。むしろ、これからの未来にひらかれている。
子どもと一緒に読みたい、夢をめぐる絵本たち
『スルウェ』ルピタ・ニョンゴ作
とても深い黒い肌を持つ少女スルウェが、自分と他者のあいだに感じる違和感。まわりの「美しさ」と、自分のなかの寂しさ。そんな彼女のもとに、ある夜、流れ星がやってきて、夢のなかで、自分の肌が夜のように美しいことに気づいていく。日常では出会えない視点が、夢というかたちで、やさしく彼女の心にしみこんでいく。
『ぼくのともだち、画家』リジア・ボジュンガ作
友だちの自死に揺れる少年クラウジオの夢。ひとつめの夢では、友だちが幽霊のように現れ、ふたりで迷いのなかにいる。ふたつめの夢では、彼の愛した芸術、政治、そして恋人クラリスのイメージとともに、彼が安らぎを得たことをクラウジオは感じとる。夢が、喪失の痛みを抱く手がかりとなり、記憶と再生の場となっていく。
『夢を見たことがなかった少年』ダニエル・ムンドゥルク作(『インディオの物語』より)
生まれながらにシャーマンの資質を持っていた少年が、夢を見る術を学びながら、癒し手としての道を歩みはじめる。夢は、スピリチュアルな学びのはじまりであり、祖先との対話でもある。
そのほかの美しい夢の本たち:
『夢の木 マリ・ヒ』ハンナ・リムリャ
『夢とは思えない夢』ダニエル・ムンドゥルク
『夢』スーザ・モンテイロ
『夢zzz』シルヴァナ・タヴァーノ & ダニエル・コンド
『ボルンの夢』エドソン・クレナック
『ここに夢が住んでいる』ジェーン・パトリシア・ハダジ
『おなじ夢』アナ・マリア・マシャド
『わたしの夢、あなたの夢』ルル・リマ
『おやすみ、ヨランダ』ステラ・エリア
『こどもの夢のための物語』シルヴィ・ボシエ
『夢の中のオオカミとヒツジ』マリーナ・コラサンティ
『夢の国のクララ』エミリー・シャゼラン

夢はいつも、遊びや物語、表現の入口をそっと開いてくれている
夢はいつだって、わたしたちにヒントをくれる。遊びの中で探求できるテーマ、絵や声やからだで表現できる世界、語り継がれる物語のはじまり。だから、夢に誘われたら、ぜひその中へ一緒に飛びこんでみて。絵を描いてもいい。登場人物になって演じてもいい。それが「いいもの」でも「こわいもの」でも、どちらでもかまわない。そして、夢を見たあとに、子どもがしずかにしていたら――その静けさを邪魔しないでそばにいてあげて。夜のなかで、もしもモンスターが訪れ、涙が流れるときは、そっと、ぬくもりと守りの腕になって寄り添ってあげて。子どもたちは、よき生の未来を育てていく種。だからこそ、自分の夢と、まわりの人の夢に耳をすます力を育てていくことが大切。幼いころに見た夢のなかには、大人になってもずっと胸に残るものがある。それは、記憶の中の宝石であり、人生の航海を導く羅針盤でもある。
ここで、この想いをひとつ結びとして置いていく。どうか、子どもたちの夢に耳を澄ます習慣が、わたしたちの家庭や学校、そして地域の中で、もう一度あたたかく灯りますように。夢の親密さを思い出すこと。それは、現代の西洋的な文化にすこしずつ亀裂を入れ、想像力という名の矢を放ち、もっとみんなの未来へとつながっていくための種まき。
―― シルヴィア・アンドラージ・ゾナット(@silviazonatto.psi)
ユング派ボディサイコセラピスト/心理学者(UFRGS)「Rubra Terra – エコ・レフージオ」共同創設者『ソニャリオ』著者
参考文献:FORDHAM, M. 『個としての子ども』マルタ・ロザス訳、Cultrix(1994年)JUNG, C.G. 『子どもの夢に関するセミナー』ロレナ・キム・リヒター訳、Vozes(2011年)

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