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セルフアウェアネス


生理痛って、当たり前?
多くの女性が「生理痛は当たり前」と教えられ、強い痛みも我慢しがちだ。しかし、日常生活に支障が出るほどの痛みは決して「普通」ではない。
生理痛の主な原因は、子宮を収縮させるプロスタグランジンの過剰分泌にある。湯たんぽで温める、マグネシウムを摂取するなどのセルフケアで和らぐ「原発性」に対し、注意が必要なのは病気が隠れている「続発性」だ。特に子宮内膜症は、診断まで平均7年もかかると言われる。動けないほどの痛み、性交痛、排便痛などは、体が発する警告かもしれない。根治は難しくとも、適切な治療や生活改善で症状を和らげることは可能だ。
また、痛みには心身の繋がりも影響している。骨盤周りは感情を溜め込みやすく、過去のトラウマや緊張が痛みとして現れることもある。体に優しく触れ、内なる声を聴く時間が癒しに繋がるだろう。
生理は本来、苦しむためのものではない。社会が作った「生理は隠すべき、汚いもの」という物語を手放し、自分の体のリズムを慈しんでみてほしい。痛みが強いときは、どうか一人で抱えず専門家に相談を。5月28日の「月経可視化の日」を機に、誰もが生理で苦しま


マンダラルナーとソニャリオで、目覚めと夜の訪れをリチュアルにしよう
一日のはじまりと終わりにある「あわい」は、世界と深くつながるための時間。アマゾンの人々の感覚では、夢やしるしは「横から」届き、人間だけでなく動物や精霊とも関係しながら意味を持つ。夜は思考がひらき、夢や記憶が訪れる場であり、やさしく一日を閉じることでその働きを迎え入れることができる。朝はゆっくりと感覚を調律し、夢の余韻をすくいながら意図を置く。書くことは呼吸のような実践であり、完璧さは必要ない。マンダラルナーとソニャリオは、内なる世界と外の世界とを結び、わたしたちが他の存在とともに生きていることを思い出させてくれる。


PMSのセルフケア
雨の日曜日に体がふっと楽になるのは、あなたが「休むこと」の大切さをちゃんと知っているから。PMSは決してあなたの不均衡ではなく、休息や弱さを許さない社会の歪みが映し出されたものに過ぎない。薬でサイクルを止めて感情に蓋をするのではなく、月経前の時期が教えてくれる「ペースを落とすサイン」を大切にしてほしい。イライラや涙は、これまで飲み込んできた想いや、誰かの痛みに寄り添うための優しい勇気が溢れ出したもの。だから、予定をキャンセルしたり、はっきりと「ノー」を言ったりして、自分を守る境界線を引いてもいい。3ヶ月間、誰のためでもない自分だけの「雨の日曜日」を過ごすように、心のままに休み、感じ、自分を慈しんでみて。そうして自分の内なるサイクルと仲直りできたとき、PMSはもうあなたを苦しめるものではなく、自分を取り戻すための愛おしい時間へと変わっていくはず。


記録を振り返ることで生まれる気づきとその響き
人生の意味は、その最中ではなく、振り返ったときに少しずつ見えてくる。過去の記録を読み返すことは、記憶をたどるだけでなく、かつての自分と再び出会うこと。混乱や失敗だと思っていた出来事も、新しい視点から見ると学びや必要なプロセスだったと気づく。読み返すことで、見えなかったつながりや成長が浮かび上がり、自分の歩みをやさしく認めることができる。それは、自分を裁くのではなく、理解し、受け入れ、祝福する行為。そして最終的に、自分の内へと帰り、本来の自分と再びつながるための時間でもある。


目には見えない感情の領域
感情は、解き明かすべきものではなく、身体に刻まれたいのちのしるし。生まれること自体が断絶を伴い、身体はその記憶を携えて世界を生きはじめる。バントゥの思想では、人・共同体・世界は切り離されず、感情は時間と自然の中で生きられながら意味を持っていく。感じることは弱さではなく、いのちとつながる力であり、静かな抵抗でもある。しかし現代社会では、その余白が奪われがち。だからこそ、理解しようと急がず、とどまり、感じ、ゆっくりと自分の領域を取り戻していくことが大切になる。


夢を見ることができない ― 現代の症状
休むことや夢を見ることが難しくなっている現代。女性たちはとくに、休息を「権利」として持てず、疲れたまま生きている。24時間動き続ける社会の中で、睡眠は削られ、夢さえ遠ざかっている。けれど夢は、ただの幻想ではなく、自分の内側の声を伝える大切な領域。休むことも夢を見ることも、今や静かな抵抗でもある。夢は曖昧であるからこそ力を持ち、わたしたちを自分自身へとつなぎ直してくれる。


孤から円(サークル)へ—女の友情に潜むパワー
女性同士の友情は、メンタルヘルスや生きる力を支える大切な関係として、近年あらためて注目されている。歴史の中では、女性たちがつながり合う力はしばしば抑え込まれてきたが、友情は今も静かに女性たちを支え続けている。友人の前では、役割や期待から離れてありのままでいられ、弱さや本音も分かち合える。そうした関係は、競争や比較をほどき、女性が自分の声や物語を取り戻す場所にもなる。互いに語り、聴き合い、支え合うことで、新しい意味や記憶が生まれ、人生の物語は編み直されていく。女性同士の友情は、社会の中で傷ついてきた女性性を癒し、世代を越えて命とコミュニティを支える力を持っている。


ソニャリオとマンダラルナーを通じて自分のために書く、己を知る
このブログでは、書くことを自己肯定と抵抗、そして回復の行為として描いている。
日常の雑事や内なる疑念によって書くことが先延ばしにされるなかで、書くことは「わたしはここにいる」と存在を宣言する身ぶりとなる。書き留めることで時間は厚みを取り戻し、記憶が安心して身を休める小さな避難所が生まれる。
古代のヒュポムネーマタやプラトンの逸話が示すように、書くことは記憶を保存するだけでなく、不要な重さを手放すための「必要な忘却」でもある。紙に預けることで、身体や心を軽くし、再び生命の流れへと戻していく。
書くためには、静けさやもてなしが必要だ。空間と時間を整え、書くことを迎え入れることで、物語や問いは自然と現れる。神経科学的にも、手書きは記憶と学びを深め、夢を書き留めることで内的世界との対話が育まれる。
刺激に満ちた現代において、書くことは注意を取り戻し、自分と再会するための瞑想であり、愛の行為である。記憶を育てることは、そのまま、自分自身の物語を育てることなのだ。


長い夜にとどまる冬至のための夢の儀式
冬至は、一年で最も夜が長く、世界が静止する転換点として、古来より特別な意味をもってきた。冬は終わりではなく、内側で夢や可能性が発酵し育まれる時間であり、沈黙のなかでしか聴こえない声に耳を澄ます季節である。光が弱まるこの時期、夢は個人のものを超え、集合的で予言的な力を帯び、大地や時代の声を運んでくる。冬至は太陽が「立ち止まる」瞬間であり、老女の女神が新しい光を胎内に宿すとされるように、闇は欠如ではなく孕みの場となる。眠り、夢を見ること、ゆっくりとした時間に身を委ねることは、過剰な世界に抗う行為であり、魂を耕す実践でもある。危機の時代において、夢に耳を澄まし、感じ続けること、愛と注意深さを選び続けることは、静かでラディカルな抵抗となる。


セルフケアの術
自己を知ることは、何かを集めて蓄える作業ではなく、つねに動きつづけるプロセス。知識とは、日々の選択や行動を導くかたちで生きてこそ意味をもつものであり、情報のストックとは異なる。自分自身を知るということは、学び続けると同時に、不要になった考えや価値観を手放し、更新していくことでもある。そのためには、ときに自分を疑い、違和感を抱き、変化を受け入れる姿勢が求められる。自己理解は理論だけで成り立つものではなく、身体感覚や感情、境界線を知り、何が自分にとって健やかかを判断できる力でもある。また、他者の視点や関係性を通して、自分をより正確に映し出すことも助けになる。オートケアとしての日記や記録は、この絶え間ない学びと手放しを支える実践のひとつ。自分を育てることと、自分を知ることは、つねに結びついている。
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